「Two hearts」 2
が、そのチャンスは、思いがけず早くやってきた。


「カカシ上忍、アカデミー懇親会の出欠をお返事頂きたいのですが。」
名簿を抱えたうら若い中忍が、おずおずとカカシに問いかける。
「…アカデミー懇親会…?」
訝しげに眼を瞬かせるカカシに、名簿中忍が慌てて説明し出す。
「は、はい!さ、三代目のご指示で始まった会です!卒業生の担当を引き受けて
下さった上忍方に、我々アカデミーの教師が、毎年、感謝の意を込めてささやかな
懇親会を開いておりまして…!」
「…へぇ。…ああ、去年ナルト達引き受けたからか…」
銀色の頭をポリポリ掻きながら、カカシがうっそりと呟く。いかにも面倒そうな
その仕草に、中忍が一層慌てた様子で続ける。
「…い、いえ!強制ではありません!第一、懇親会と言っても、中身はただの
無礼講な飲み会ですし。…三代目のご希望なのです。固い事は抜きで、ただ楽しく
酒を呑めば良い、と。」
「無礼講、ねぇ…」
「ですから、欠席される上忍方も沢山いらっしゃいます。…勿論、我々教師は
全員参加ですが。」
「教師は全員参加…」
ぼんやりと復唱したカカシが、突然、蒼みががった右目をハッと見開く。
明らかにそれまでとは違う真剣さで、目の前の中忍にゆっくりと確認する。
「…てことは、イルカ先生も…?」


「ああ!イルカは絶対ですよ!毎年、凄く楽しみにしてるんですから!」
名簿中忍が力強く断言する。
「去年なんか、酔っぱらった挙句アスマ上忍と温泉話ですごく盛り上がっちまって。
あ、イルカ実は温泉オタクなんですけど。」
満面の笑みを浮かべながら、仲間のエピソードを嬉々として話し出す。
「それで、しまいにゃ今度一緒に温泉行くぞとか、アスマ上忍の腕ひっ掴んで
誘ってんですよ!あいつ元が餓鬼大将だったから、そういう時、つい出るん
ですよね。俺に付いてこい系な言葉が。翌日慌てて謝りに行ったんですが、
「おう大将、温泉いつ行く?」とかからかわれて、もう、赤くなるやら
蒼くなるやら…」
ははは、と可笑しげに笑う男に、カカシが微動だにしない視線を送る。
「…あ!し、失礼しました…!そ、それで、どうされますか!?やはり、欠席で…!?」
焦る中忍の問いに、カカシがふるりと首を振る。自らに言い聞かせるように、
強く静かな声で答える。

「…いや、参加する。俺の参加に○、付けて置いて。」



「良かったな。カカシ。」
「…何が?」
枝の上に寝そべりながら、何気ない口調で聞き返す主に、狗が頬肉を振るわせて笑う。
「千載一隅のチャンスではないか。あの中忍と近づける。」
「…ああ。そうかねぇ…?」
今気付いた、と言わんばかりの主の口調に、狗の笑みが一層深まる。
何が、「そうかねぇ」じゃ。あれから、一度もイチャパラを読んでないくせに。
代わりに主の手に収まっているのは、『世界の温泉ガイド』だ。千の技を覚えた
記憶力をフル活動し、中身は既に完璧に暗記済みだ。
いや本当に、良かった。
主の傍らに居座りつつ、狗がしみじみ思う。無礼講の飲み会なら、固い話はでまい。
カカシも安心してイルカに話し掛けられるというものだ。自分もようやく巻物に戻れる。
そう思った途端、枝の下から大きな驚きの声がした。


「は?!カカシさんが参加!!??」


主がびくりと顔を上げた。声の主は聞き間違いようもない。夢にまで見ている、
あの黒髪の中忍だ。
主が瞬時に自分の気配を消す。そして、息を殺して下の様子を伺いだした。
「そうなんだよイルカ!びっくりだろー?!?」
木陰を求めて来た四・五人の中忍集団の中、この間の名簿中忍が両手を
振り回して訴えている。
「絶対参加しないと思ったろ?!俺も!だって「写輪眼のカカシ」だぞ?!
しかも最初すげー面倒くさそうだったしさー、もう絶対断ると思ったね俺!」
「伝説の上忍参加かぁ。そりゃ女先生達大興奮じゃねーの?」
「それだけじゃねー。カカシ上忍が参加するってからの女上忍の参加率の
高さっつったら、すげーよ。」
「うおー、明日やっばいなー、おい!」
中忍教師達がワーワーと盛り上がる。その喧騒の中、イルカが一人宙を見上げて
ぽつりと呟く。
「…カカシさんが、来るのか…」

途端、バクリ、と主の心臓が強く脈打った。手の中の温泉ガイドが、ぐしゃりと
強く握り潰される。
イルカが鼻の傷をポリポリと掻く。そのまま、黒い眉を顰めて何かを考え込む。
やがて、イルカが意を決したように顔を上げた。騒ぐ同僚の一人に向い、
落ち着いた声で問いかける。
「お前、確か明日夜間当番だったよな。」
「…あ?そうなんだよー。俺、行けないんだよ。くっそー、こんな時に限ってよー。」
残念だ、と悔しがる同僚に、イルカが静かな声で言う。


「それ、かわってやろうか。」


主の右眼が大きく開く。同時に、中忍達も一瞬しんと静まった。
「……あー、」
やがて、同僚が気の毒そうに口を開いた。
「…そっかー。イルカはなあー…、カカシ上忍来るのは、ちょっとなー」
いかにも不憫そうに相槌を打つ。
「…うん。まあな。」
イルカが苦笑して頷く。それから、ちょっと慌てたように続ける。
「いや。そうじゃないんだ。カカシさんの言う事は正しいんだ。物資の事も、
俺の力が助けにならない事も。全部、正論だと思ってる。」
「…でもなぁ…それに、物資だの人員だのは上の奴らが…」
庇おうとする同僚に、いいんだ、それが俺の仕事だ、とイルカが首を振る。
「…ただ、やっぱり…ちょっとな。…おれ、弱いんだろうな。」
さっきまでのきっぱりとした口調が嘘のように、はは、と弱々しく瞼を伏せて笑う。
「…悪りぃ。良かったら、ほんとに替ってくれないか。」
同僚に向かい、切々と、真剣な声で訴える。黒い眉を苦しげに顰め、小さな、
けれどはっきり通る声で言う。


「正直、飲み会の席でまで、あの人の顔は見たくない。」


同僚がポンと両手を鳴らして叩く。
「よっしゃ!じゃ明日替ってくれイルカ。」
すまん、とイルカがホッとした顔で頭を下げる。
「いやいや、てか俺はその方が嬉しいし。むしろ有難うございますイルカ様〜」
おどけた仕草でイルカを拝む同僚に、周囲がドッと笑う。それで再び明るさを
取り戻した一団が、また賑やかに談笑しながら去っていく。
石のように固まる、銀髪の上忍を頭上に残して。

「・・・・・・・・。」
カカシが無言のまま本を閉じる。気の毒すぎて声も掛けられない。
なんとまあ、間の悪い事だ。ここまで本音をぶちまけられるとは。
そりゃ、あの中忍の気持ちも解る。
必死の提案は撥ねつけられ、衆人の前で容赦なく叱責され、己の能力不足は痛烈に
批判される。そんな毎日を作り出す元凶になど、何で好意を抱けるか。嫌がったと
しても仕方ない。
しかし、「顔を見たくない」は、如何にせん厳しすぎる。主の心情を思うと
言葉も無い。
主はそれだけを、夢みていたのだから。


顔を、見たいのだ。
殺し殺される人生でも構わない。イルカの顔が見られるなら。
それだけが、主の望みだったのだ。
隣でただ、眺めていたかったのだ。
自分の隣で黒い瞳が柔らかく瞬く様を。生真面目そうな唇が、思いがけず優しく
綻んでいく様を。
その様を、唯一残された蒼い瞳で、ずっと眺めていたかったのだ。


「…任務、入れよっか。」
ふいにカカシが口を開いた。
「…あ?」
「任務。元々、懇親会なんて合わないしね。任務だって言っとけば、理由
立つデショ。ま、急な話だから、どんなのが来るか分かんないけどね。」
「…ああ。そうじゃの…」
よし、決まり、と主がのっそり立ち上がる。見上げる自分から視線を逸らし、
低く掠れた声で呟く。
「…全部、間違いだったんだ。最初から、全部。」
カカシ、と呼びかけたその瞬間、主は既に宙に向かって跳躍していた。




「あ」



人気の無い夜の受付所に、イルカの驚いた声が響く。
黒い瞳にあからさまな疑問を浮かべ、入口に現れた銀髪と上忍と忍犬の姿を
まじまじと眺める。
運の悪い事は、続くもんじゃ。
狗が深い溜息を洩らす。夜間当番とは、受付所のことだったのか。どんだけ
アカデミー教師を使い廻すんじゃ、あのジジイ共は。
カカシがすたすたとイルカの元に歩いて行く。呆気ない程簡単に終わった任務の
報告書を、無言でバサリと机上に置く。
「…あ!はい!今確認します…!」
イルカが慌てて書類を手に取る。任務が入ったのか、と納得した顔で、いつも通りの
確認作業を始めていく。他に人の無い受付所に、イルカのペンの音だけがさらさらと
響く。狗はチラリと主を見上げた。
その瞬間、狗の心臓がズキリと痛んだ。

イルカの顔を、見ていない。


主がイルカの顔を見ていない。俯いたまま、銀色の頭を上げようしない。いつも、
食い入るように見詰めていたのに。
直ぐに理由が分った。イルカだ。
イルカが、顔を見たくないと言ったからだ。眼が合えば、嫌悪されると知ったからだ。
望む笑顔は、決して手に入らないと分ったからだ。
辛すぎるのだ。
顔も見たくない程自分を嫌うイルカを、受け入れるのが辛すぎるのだ。







サクモ




サクモ。お前だ。
狗の胸が悲しみに張り裂けそうになる。見る事を止めてしまった。受け入れられないと
決めつけて、見る事が出来なくなった。サクモ。同じだ。カカシはお前と、全く同じだ。

主が好きだった。
軽々と跳ぶ銀色の肢体が。鮮やかに繰り出される、研ぎ澄まされた技が。猟犬の
ように輝く瞳が。
止めたいと願っていた。
主が人の世界から遠ざかって行くのを。もう二度と、会えなくなってしまう事を。

けれど、今、自分の眼の前にいる男は全く同じだ。
どうして自分は止められないのか。
何度戦地で敵を食い殺しても、主を救う事は出来ない。主の求めるものを、差し出す
事が出来ない。
それをまた、自分は繰り返してしまうのか。


イルカのペンの流れが止まる。
頭を深く下げたまま、結構です、ご苦労様でした、と固く張り詰めた声で答える。
いかにもカカシから距離を置いたその仕草に、狗の胸が益々痛む。
「うん。」
主が小さく頷く。そのまま、背中を丸めて出口に歩いて行く。狗は身体を動かす事が
出来なかった。
このまま。このまま終わってしまうのか。
脚を上げる事が出来ない。遠ざかって行く主の姿を、ただひたすら見詰め続けた。







Two hearts3
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